法被の歴史
伝統的な日本各地で行われているお祭り用の衣装とは別に、法被や半纏は様々なキャンペーンやイベントのスタッフユニフォームとして、またスポーツからアイドルコンサートの応援用としてもオーダー制作され、格安名入れ販売され、利用されています。
昨今ではプリント印刷の技術向上により、オリジナルデザインによる半纏の特注製作も格安価格で簡単に出来るようになり、当店もそんなハッピの激安オリジナル作成専門のネット通販ショップとなっております。
そんな制作価格の安い法被やはんてんですが、これは一体いつ頃、どのように生まれ今日まで受け継がれてきたのでしょうか?ここでは少しだけ、その歴史について紐解いていこうと思います。
平安時代以降、天皇以下の公家の正装は「束帯(そくたい)」と呼ばれるものでしたがこれは下から、単(ひとえ)、袙(あこめ)、下襲(したがさね)、半臂(はっぴ)、袍(ほう)を順に着て、その上から腰の部分に石帯(せきたい)と呼ばれる革製作のベルトを当てていました。
この袍の下に着ていた半臂は袖作成のない胴衣でしたが、どういうわけかこれが現在の法被の語源だと言われております。
また仏教において、高僧が座る椅子の背もたれに掛ける布の名である「法被」はこれとは全く関係がなく単なる当て字とされていることから、正しくは「半被」と書くほうが歴史的には近いのではないかと思われます。
江戸時代になるとこのはっぴは袖の形で、筒袖(つつそで)や広袖(ひろそで)で種類分けされるようになり、武家の衣装として制作され広まりました。
やがて職人や火消しなどがそれを真似てはっぴを着用するようになったのだそうです。
また、半被の襟に文字を入れるのもこの頃からの始まったようで、それぞれの所属する団体名 や意思表示、また年齢などを表していたそうです。
ちなみに、ハッピは武家社会の服装であるのに対し、袢纏は庶民の服装であったとされていますが、江戸時代末期にはその違いも曖昧になり、どちらも同じような衣類を指す言葉となりました。